技術の進歩とゆとりの関係

busido2004-10-08

PCのサーバ群や各自1台以上のPCがある為に社内は禁煙だ
いつも踊り場に出てから一服するのだが、今日はボーっとしながら道路を眺めていると、信号が青なのに出発が微妙に遅れた白いセダンがいた。
後ろにはピッタリとバスが停車していて、事もあろうにクラクションを鳴らした
その後「ウォーン」というエンジン音の後、「ガッガッ」とミッションに削れる音が鳴り走り去っていった
そう普通のセダンにしては珍しくミッション車だったんです

まぁすぐにクラクションを鳴らすバスに問題があるのだが今回そこは置いておいて、車を例に挙げて話を進めていくことにする。
つい僕の生まれた頃にはオートマチックなんて代物は存在せず自動車は全てミッションだった
ギアをニュートラルに入れてアクセルを煽ってしまえばミッションは「ガッガッ」と擬音を上げて入らないのは運転手なら皆が承知していたことだ

時代は変わり現在はオートマチックが主流になり、クラッチを切ってギアを1速あるいは2速に入れアクセルと同時に半クラにすると言った儀式がなくなりつつある。
足をブレーキからアクセルに乗せかえるだけのオートマには、それが当たり前で信号でミッションがもたつくとすぐにクラクション。
オートマはゆとりとか楽、余裕が売り物だと思う
(最近はF1からフィードバックされたとんでもないオートマも存在するが)
車のゆとりとか楽、余裕は手に入れたかもしれないが、逆に人間としてのゆとり、余裕を失っている気がする今日この頃、、、
合図のクラクションはなんとか許せるが、威嚇や注意のクラクションは言語道断
(バイクって人がむき出しなので、クラクションを近くで鳴らされるととんでもなく音量が大きく驚くことが多々ある)
本当にこれは一例で、例を挙げれば株取引、携帯電話、インターネットなどバイクもしかり。
エンジン精度が上がったようで最近のマシンは暖気すら要らないし、挙句の果てにはナラシもいらないと聞く

寒い冬に暖気しながら一服し、手を擦り合わせながら愛車のチェックをしている時間って好きだったな
注:管理人はTMAXというオートマの大型スクーターに乗っているので暖気は多少するが愛車のチェックは出来ない、なぜならカウル以外は何も中身が見えないんで(笑

ゆとりね、、、、、(遠目