今でも蘇る、、、日航機の御巣鷹山事故

busido2006-08-12

幼少の頃から義務教育を卒業するまで母方の実家に季節の休み(冬季/夏季)には必ず帰っていた。
1985年(S60)8月12日、小学校3年生だった管理人は、母方の実家のテレビで壮絶な光景を目撃した。そう520人の尊い命を奪った日本航空・東京-大阪123便墜落事故
当時、母方の実家に向かう際にはジュニアパイロットと呼ばれる子供一人旅システムを使っていた。その年搭乗したのは奇しくも2日前の8月10日
幼心に飛行機が好きで毎年ジュニアパイロットを楽しみにしていたんだけど、事件から飛行機に乗ると変な違和感を感じるようになっていた。
それは出張が多い今でも変わらず、気がつくと母方の実家で正座してテレビに食い入る自分の姿が脳裏に蘇る
幸いにも、まだ事故には遭遇してないが、毎週毎週飛行機に乗っているといつかは、、、なんて考えてしまう
↓↓こちらに詳しく載っています↓↓子供を持つ身、涙が出そうになりました
日航機墜落事故 東京-大阪123便 新聞見出しに見る20年間の記録
お亡くなりになられた方々、ご冥福をお祈り二度と同じような事故が起こらないよう願うばかりです
そんなJAL日本航空)をNAL(国民航空)に変え御巣鷹事故を題材にノンフィクションに限りなく近いフィクション作品「沈まぬ太陽」を読んでます、これも大問題を起こした作品なんですね
今はANA派の管理人でした